勉強ができるのは生まれつき?➁
昨日の続きです。
「勉強の得意不得意は生まれつきなのではないか?」
そう考えるようになったきっかけは、わたしが家庭教師のバイトで勉強が苦手な高校1年生の女の子を教えていた時です
その子は特に数学が苦手で、
わからない問題をどんなに丁寧に解説しても来週には忘れてしまうし
宿題はやってこないし
テストは前日にならないとやる気が出ないと言うし
、、と、なかなかの問題児だった訳ですが
性格が素直で明るく面白く、その子とおしゃべりするのは毎回楽しみでした
そこで
「どうして早めにテスト勉強をする、とか毎日1時間だけでいいから単語を覚える、とかのちょっとしたことをして来てくれないの?」と聞いてみたところ
「したいんだけどできないの」
「できないからどんどん嫌いになるし」
「解説を読んでもわからないし、せっかく覚えたこともすぐ忘れちゃうし」
「できる人にはわかんないんだと思う。だから先生には理解できないと思うの」
、、とのこと。
わたしは今まで自分が勉強得意だ、と思ったことはなかったし
ましてや勉強が好きだと感じたことなんてありませんでした
でも、解けない問題が解けるようになるのは嬉しかったし、
「解説を読んだのにわからない」経験はしたことがありませんでした
そこで初めて、もしかして自分は勉強が得意な側の人間なのかもしれない、と気付きました。
わたしは勉強は「やればできる」と考えているしどんなに難しい問題でも「解説を読めば理解できる」と思っているので
勉強するのが楽しい!とまでは思わないものの、この高校生の女の子ほど
勉強するのが苦しい、、とも思ったことはありませんでした。
この出来事はとても大きな衝撃で。
みんながみんなわたしと同じ考えではないのだと、(わかってはいたけれど)改めて気付かされるいい経験になりました。
それ以降わたしは、例えば人より足が速い、絵が上手い、歌が上手い、などのいわゆる「才能がある」と言われる分野と同じように
勉強も生まれ持った才能の必要な、努力では補いきれない部分があるものなのではないかと考えています
つまり勉強が苦手な子にむりやり勉強させるのは、運動音痴なわたしに50メートル7秒で走らせようとしているのと同じことだったのではないか、、そう思いました
そりゃある程度は速くなると思いますよ。トレーニングして正しいフォームを身につけて、、
でもやっぱりそれって走ることが好きじゃないとなかなか自分からやろうと思わないですよね
それに気づいてから、わたしはその女の子に対する学習の姿勢を考え直しました
その子は大学進学する気はなかったので、(一応気が変わった時困らないように理解できていないところは何度も根気良く教え、)あとはテストで良い点を取るためだけの授業に変えました。
「効率よくテストで平均点以上を取る」ことに焦点を当てたことで以前より結果も出やすくなり、本人の負担も減ったように感じます
つまりは勉強なんて、(なんて、というのは良くないかもしれないけど)
勉強なんて得意な人がやればいいんです
で、苦手な人は他の分野で自分のやりたいことをすればいいと思います。
もちろん生きていく上で最低限学んだ方がいいことはたくさんあるし、学歴が高いに越したことはないんですが
勉強が全てではない訳で。
、、と思いました
まとまりなくなってしまってすみません
収集つかないので今日はこの辺で。
(こんな偉そうに言って単位落としたらどうしよう)
長くなりましたが読んでくださりありがとうございました
蜜柑